2020.07.15
#02 佐藤優人 株式会社「米シスト庄内」専務 山形県青年農業士 「酒田モシエノ大学」企画・運営(庄内町在住)
自分が面白いことで
誰かが笑ってくれたらと
いつも思っています。
庄内平野で米農家をしながら、これまで出会った仲間と一緒に地元で音楽イベントなどを仕掛ける佐藤優人さん(31)。オンとオフ、東京と山形。線を引かずごちゃ混ぜに楽しむ佐藤さんに、これまでとこれから、そして山形を楽しむ〝極意〞を語ってもらいました。
挫折と三つの課題
―どんな高校生でしたか?
中学の時は陸上に打ち込み、三種競技Aで県3位に入賞。でも高校で右手をけがし、競技を断念しました。部活を辞めるといわゆる「帰宅部」になるわけで、周りから取り残され、存在感が薄れていく気がして。それがどうしても嫌で、自分に三つの目標を課しました。
一つ目はブログを書く。この挫折もエンタメになるのではと、やり場のない気持ちも当時の受験記録と一緒に書き続けました。その結果、当時の県内アクセス1位を獲得(※)。自己発信の面白さを知りました。
二つ目は早稲田大学への入学。あるとき、勉強が楽しくなる方法を発見したんです。それは妄想すること。「大学の近くにはどんな定食屋があるのかな」とかをネットで実際に調べて大学生活を具体的に想像していたら、勉強が苦ではなくなり、一日20時間勉強していたこともありました。
三つ目は生徒会長になる。生徒会長時代は、カラスのふん公害対策を求める署名活動を行いました。カラスが教室の窓から侵入し、生徒の弁当を食い散らかす被害まであったんですが、街頭を中心に4500人ほどの署名を集め、鶴岡市にカラス駆除の予算をつけてもらいました。このとき初めて、自分が地域とつながったという実感があり、自分の世界が広がった気がしたのを覚えています。今思えば、高校時代の収穫は、全て挫折から生まれたものでした。
出会いが増える面白さ
―念願の早稲田大学ではどんな学生生活を? 帰郷を決めたきっかけはありましたか?
大学では音楽や映画などのサブカルチャーにはまり、好きなことをひたすら突き詰めていました。サークルの仲間とイベントの制作を担当したりする中で、出会った方から企画の手伝いを頼まれ、時にはお金を頂けることもありました。人とのつながりの中で「仕事」をすることができて、自分も楽しいし、みんなも喜んでくれる。プライベートと仕事の関係性がごちゃ混ぜになった生き方が自分にはすごくしっくりきました。
ただ、学業には身が入らず、親に申し訳ない気持ちもありました。そんな中、東日本大震災が発生。米農家の実家は風評被害で輸出米の販売が危機的状況になり、戻って営業や広報から手伝う決意をしました。これまでの経験は米の販売にも生かせるし、これまで出会った人が僕の米を食べたらきっと喜んでくれるだろうという「妄想」がありました。
―米の生産、販売という本業以外にも、イベントやライブなどを次々と仕掛けています。
原動力は「人に喜んでもらいたい」。これに尽きます。場所が変わっても、自分が面白いと思えることで誰かが笑ってくれたらといつも思っています。自分の地元なので、なんとか楽しく生きたいです。
―地元山形ならではの良さってありますか。
面白いと思うのは、人との距離感が近く、出会いがどんどん増えるところ。東京に住んでいる時に中野区長には会えませんでしたが、高校生の自分でも鶴岡市長には会えました。だからなんだというわけではないんですが、自分が「これやりたい」と言い出した瞬間から、紹介に次ぐ紹介でたくさんの人とつながっていく感覚は、山形の良さだと思います。
誰かの喜びのため働く
―最後に山形の後輩へメッセージを。
若い人からよく「やりたいことがない」って相談されるんですが、「友達の手伝いをしてみたら」と答えています。全ての仕事は誰かの喜びを生むためにあるはずで。好きな人を喜ばせようと手伝いをしているうちに、何らかの技術が身に付いたり、出会いや発見があったりする。そこで「自分はこういうことがうれしいと感じる人間なんだ」と自分を知ることが大事だと思います。
まずは動いてみる。そして、ときめくものに出会った瞬間、そのときめきを逃さないで、ずっと大切にしてください。
(※)livedoorブログ。1日最高2万PV
撮影 / 菊地 翼
佐藤優人 SATO YUUTO
株式会社「米シスト庄内」専務
山形県青年農業士
「酒田モシエノ大学」企画・運営
1988年、庄内町(旧余目町)生まれ。余目中-鶴岡南高卒業。早稲田大学中退。2011年、東日本大震災の発生を機に帰郷し、実家の農業生産法人「米シスト庄内」に入社。同時期にIターンした友人と約1年かけて開発した、小麦粉を使わないかりんとう「かりんと百米(ひゃくべい)」は優良ふるさと食品中央コンクールで全国2位にあたる賞に選ばれた。15年から庄内で音楽イベント「ドゥワチャライク」を、16、18年には音楽フェス「DOIT」を開催。15年から継続しているトークライブイベント「酒田モシエノ大学」は70回以上の開催を数える。妻・子の3人家族。