2021.07.15
#08 神山悠子 米富繊維 商品開発 『COOHEM』 ウィメンズデザイナー
私の“最優先”がここ山形にあった
山辺町の老舗ニットメーカーがつくり出す洋服に魅せられ、縁もゆかりもない土地へ。群馬からイギリスを経てたどり着いたのは、職人気質と新しい感性、斬新な編みと伝統的なデザインが交差する山形の工場でした。気鋭のブランド『COOHEM』のデザイナーとして、世界に向けたものづくりに挑戦する神山悠子さん。幼い頃からの夢を山形でかなえた彼女のこれまで、そしてこれからとはー。
―デザイナーを志したきっかけは?
幼い頃からずっと、夢は「お洋服屋さんになる」。漫画『ご近所物語』が大好きで、深夜のBS番組で『ジャン=ポール・ゴルチエ』のショーを見てワクワクしている子どもでした。服飾系の高校に進むことも考えましたが、親から「将来の選択肢を狭めるのはまだ早いんじゃない?」と助言され地元の進学校へ。部活で女子サッカーに打ち込むと同時に、洋服の作り方について学ぼうと週末は新宿の専門学校に通っていました。楽しくて、電車で約3時間の往復は全く苦じゃなかったですね。
卒業後の進路に悩んでいた時、たまたま参加したのが「留学フェア」でした。サッカー部の先輩が留学したこともあって視野は海外へと広がり、「ファッションを学ぶなら」とロンドンの大学に進むことを決めました。
イギリスから
山辺町へ
―米富繊維との出会いは?
大学を卒業し2年ほどイギリスで働いた後、帰国して就職活動を始めました。ニットに強いブランドで働きたいと思っていました。そんな時、留学中に知り合った親友が、「悠子が好きそうなブランドがあるよ!」と教えてくれたんです。それが『COOHEM』でした。一目見た印象は「わ、すごいかわいい」。こんなに色鮮やかでかわいいツイードのジャケットは、これまで見たことがなかった。しかもテキスタイルは新しいのに、形はトラディショナル。そんなものづくりの姿勢に共感できるし、技術力の高さも感じました。何より「好きだな」と直感したんです。すかさず「働きたい」とメールを送っていました。すると大江健社長から連絡があり、「ものづくりをするなら絶対に山形。まずは来てみなよ」と。実際、工場を見てみると働いている人がとても楽しそうで、ここで自分も一緒に手を動かしてものづくりをするのが、とても自然なことのように思えました。
一人ではできない
足していく魅力
―デザイナーとして心掛けていることとは?
入社後は、編み機を使いニットを編む「編立(あみたて)」でサンプルを作る仕事をしていました。3年目から、社長のアシスタント業務をしながら、ウィメンズを中心に洋服をデザインしています。今は自分で手を動かすのではなく、指示を出して職人に編んでもらう、縫ってもらうわけですが、予想を上回るものが出来上がってくるのが、この会社のすごいところ。しかもそれぞれのプロフェッショナルが、私では考えつかなかった案をどんどん出してくれる。なので私は自分の考えに固執せず、一歩引いて、何がベストかをジャッジするよう心掛けています。米富繊維のものづくりは、技術をどんどん応用し、広げていくことの積み重ね。ベテランの職人がずっとそれを続けている。「やってみたい」と思ったことを応援してもらえるので、みんながいつも何かにチャレンジしている楽しさがありますね。
―これからの目標は?
ベテラン社員の言葉の受け売りですが「完成度と感性度を上げていくこと」。ものづくりの質を高め、同時に自分のセンスを洗練させる必要があると感じています。そして米富繊維と『COOHEM』をもっとたくさんの人に知ってほしいです。
優先順位をクリアに
―山形の後輩へメッセージを。
進路を考えるとき、自分の優先順位を明確にすることが大切だと思います。私は地方が好きだから山形に来たのではなく、仕事の内容や働き方を考えて、今の生き方を選びました。都会は今でも好きですが、居住地の優先度というのは私にとってそんなに高くなかったんです。それが例えば「友達や家族と離れたくないから地元で暮らす」でも、「都会に住みたいから地元を離れる」でもいいと思います。優先順位をクリアにすれば、大切なものや進む道も見えてくると思いますよ。
あとはぜひ、地元のことを知ってほしいですね。私は離れてみて知った地元のこと、地元の良さがたくさんありました。まずはニットといえば山形、と業界で認知されていることを知ってほしいです。
取材/松田 陽 撮影/菊地 翼
神山悠子 KAMIYAMA YUKO
米富繊維 商品開発 『COOHEM』 ウィメンズデザイナー
PROFILE
1986年、群馬県邑楽郡千代田町生まれ。群馬県立太田女子高校を卒業後、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションに入学。テキスタイル科ニット専攻で、ニットデザイナーになるための技術や知識を習得する。2010年に卒業し、イギリスで服飾関係の仕事などを経験した後、12年に帰国。2013年秋に米富繊維(山辺町)に入社した。米富繊維はニットメーカーとして1952年に創業。全自動横編機を43台所有する日本一の生産体制と高い技術力を誇る。『COOHEM』は2010年にファクトリーブランドとしてスタートした。
https://www.yonetomi.co.jp/original/