2024.11.27
キミにスポーツを! Bring sports into your life!
学校や仕事、自宅や家庭、そして
もう一つ、居心地良い場所があれば
人生はきっと楽しい。それがスポーツだったらどうだろう?
ガチめなアスリートからレクリエーション、はたまた推し活…。
関わり方は十人十色。山形にまつわるスポーツの風景をちょっとだけのぞいてみた。
スピードスケート元日本代表 加藤条治さん (39)(山形市出身)
これまでのスケート人生を赤裸々に振り返った
加藤条治とは 何者だったのか?
「加藤条治とは何者だったのか?」―そんなタイトルの講演会が9月、山形市内で開かれた。世界記録に名を刻み、五輪で銅メダルを獲得したスピードスケート界のスーパーヒーロー。ただし、「金メダルを逃し続けた男」と初めて自らを評した。アスリートとして引退後、拠点を再び東北へ。自分自身を深く掘り下げ、次のキャリアに向けて古里で思いを語った。
高校1年の全国大会でいきなりの優勝。巧みなコーナーワークを武器に世界への階段を駆け上がった。高3で出場した初のW杯で3位。憧れの清水宏保と同じ表彰台に立った。その後2013年まで9年にわたりW杯で結果を残し、通算14勝。世界距離別選手権でも頂点に立った。しかし五輪での勝利は遠かった。絶対的金メダル候補として臨んだ06年トリノ五輪はまさかの6位。続く10年バンクーバー五輪は3位。いったい舞台裏では何があったのか。「ちやほやされ心と体がバラバラだった」「本番1週間前に急に滑れなくなった」… 講演では当時の状況を赤裸々に語った。
実は五輪の〝敗因〟を語るのは初めてなのだという。それほどまでに傷が深かった。期待を裏切り続けてきた自覚があった。「トップアスリートとしての責任」を背負い続けてきた。しかしその荷物を降ろした今、自分自身に向き合う新たな覚悟が生まれた。
もてはやされた10、20代を経て、世界のトップで長く活躍し、体はぼろぼろになっても現役にこだわり37歳まで競技をやり切った自負がある。「忘れられないことが大切」。これが自身に課した使命だ。経験を伝えたいと願う。スピードスケートや山形のスポーツの未来のために。
講演会では山形中央高校スケート部の後輩から花束が贈られた
ヤマガタアスリートラボの取り組み
この講演会を主催したのは「ヤマガタアスリートラボ」。フェンシングのオリンピアンである池田めぐみさんが「山形県のあらゆる人をスポーツの力で幸せにする」ことを目指し2022年に立ち上げた。世界で活躍した本県ゆかりのアスリートや自治体と協力しながら、アスリートへの支援などに取り組んでいる。ほかにも地域の団体とコラボし、一般向けのコンディショニング教室、田植えなどのイベントを開催し好評を得ている。
オランダちゃん(16)と酒田米菓モルック部の皆さん
〈左から〉企画室 村上泰裕さん、副社長 佐藤栄人さん、オランダちゃん、経営企画ゼネラルマネージャー 小野賢人さん
北欧発祥のモルックを通じて 体を動かし地域も元気に!
オランダせんべいで知られる酒田市の酒田米菓。2020年、コロナ禍をきっかけに社内でモルック部を結成し、大会などに出場している。その中心メンバーが社のマスコットキャラクター「オランダちゃん」だ。
「4年前は東北の競技人口も少なく、1勝しただけで東北代表に選ばれるくらいでした」とオランダちゃんは振り返る。モルックのテレビ番組があると知り問い合わせをしたところ、企業チームやマスコットキャラの出場がなく珍しいとの理由で採用され、見事勝利。賞金10万円を獲得した。〝酒田で対戦相手が増えたらいいな〟という思いから、賞金を活用し地元のコミュニティセンターへモルックセットを寄贈。それをきっかけにモルックを始める市民が増え、今では参加者100人を超える大会が行われるほどになった。「おせんべいのほかにも皆さんと会える接点ができてうれしい。これからは学生さんにもっとモルックを広めたい」。いつもポーカーフェースなオランダちゃんの目の奥が、静かに燃えていた。
「チーム戦なので、仲間にどう声を掛けたら伝わるか、コーチングの勉強にもなります」と小野さん
酒田市内で開催される大会のサポートなど、企業としてもモルックの普及活動に積極的に取り組んでいる
ベテランの風格を見せるオランダちゃん。モルックとなると、いつもよりおてんばになっちゃうんだとか
熊谷笑梨(えみり)さん(27)パラグライダー アシスタント インストラクター
南陽市にあるパラグライダースクール「ソアリングシステム」で助教員を務める。講習やテイクオフのサポートなどが主な役割
自分の世界を広げたい!パラグライダーを続ける原動力
南陽市でパラグライダー助教員の活動をする熊谷笑梨さん。このスポーツとの出合いは大学時代。深海魚に興味があり海洋生物を学ぶため進学した福井県の大学で、〝浮遊体験〟という言葉に引かれて行ってみると、そこはパラグライダー部だった。あっという間にその魅力にはまり、数多くの大会に出場した。「自分が操縦して飛んでいる高揚感、高度をぐんぐん上げて知らない景色を見てみようという探究心。落ち着いた空域に着いた時、無になれる瞬間がある。それは地上では体験できない感覚」と空を飛ぶ醍醐味を語る。
卒業後は仙台に戻り、大学時代から縁のあった南陽市のスカイパークでボランティアをすることに。このスクールは教員が講習生と一緒に飛行する〝タンデム講習〟で有名で、車椅子の人も飛ぶことができる。「空はバリアフリー」という校長の考えに共感し、助教員のライセンスを取得した。現在はフライトエリアを飛び出して、より広く飛べるようになるクロスカントリーのライセンス取得に挑戦中。「南陽から飛び立って、置賜盆地一周を目指したい」と目を輝かせた。
ここまで盆地をぐるっと見渡せる場所は珍しく、四季を通じて楽しめるのがスカイパークの魅力。真っ白の冬の飯豊連峰も神秘的。東北でも数名しかいない上級タンデムインストラクターが2人もスクールに在籍している点もポイント
「講習生がうまく飛べた姿を見ると感動する。自分の教え方も磨かれてきたかなと喜べるし、お互いの達成感を感じる」と熊谷さん
10月にスカイパークで開催された国際大会の一幕。全国、海外からフライヤーが訪れ、選手やスタッフの垣根を越えて交流が広がった